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過去に興味がない男が、初めてs-ken & Hot Bombomsを振り返る。

取材:川勝正幸(文化デリック)/構成・文:君塚太(DO THE MONKEY)


s-kenと探偵とギャングと



――s-kenのアルバムは、s-ken & Hot Bomboms以前の、ソロ作品においても各レコードごとにキーとなるイメージを強く打ち出していました。『魔都』(1981年)なら「探偵」だったり、『ギャング・バスターズ』(83年)なら「ギャング」や「殺し屋」だったり。これらの制作のスタイルは、ジャケットのヴィジュアルも含め、初めにコンセプトありきだったんでしょうか。
s-ken 僕はもともと、いすず自動車に(システム・エンジニアとして)勤めながら、ヤマハ(財団法人ヤマハ音楽振興会)の作曲家養成所みたいなところにいたんです。最初のグループのピース・シティーも、作曲家集団みたいなものだったのが、グループを組むようにいわれて、たまたまデビューすることになっちゃった。だから観客を熱狂させるパフォーマンスより、ものをつくることのほうへの興味が高かかったんです。
  僕のパフォーマー的なワイルドな部分が初めて出たのは、東京ロッカーズが最初だと思うけど、自分がアーティストとして前面に立たなきゃいけなくなったときに、音楽だけじゃなくて、本を読んで得た知識とか、映画を観てきた体験とかが連動して、自分がパフォーマンスするならこのイメージ、というアイディアが出てきたんだと思います。ただ、僕は影響を受けているものがやたら広いジャンルにわたっていたから。なんというか、知識欲というか、好奇心が強いんでね。アメリカに渡ったときも、既に自分の好きなテイストってあったんですよ。ロサンゼルスでいえば僕のイメージはレイモンド・チャンドラーの小説。音楽だとブライアン・ウィルソンとランディ・ニューマン。だからパンク・ロックをやるにしても、単純に向こうバンドに憧れて、同じファッションをしたいとは思わないんですよ。髪も逆立てたりしなかったし。実際にニューヨークで体験したパンクは、アーティストたちも別に奇抜な格好をしていたわけじゃなかったしね(笑)。 
  『魔都』でも『ギャング・バスターズ』でも、そんな感じで自分のアーティスト・イメージが出たんじゃないかな。『魔都』に関しては、東京ロッカーズの総決算というか、東京ロッカーズ卒業記念アルバムのつもりだったけど、探偵にしろ、ギャングにしろ、殺し屋にしろ、曲をつくっているうちに、たまたまそういうイメージが出てきたんだと思う。最初にコンセプトがあるんじゃなくて、どんどん好きな曲をつくっていって、最終的にアルバムをまとめる段階になったときに、「こういう感じかな?」というイメージが立ってくるんですね。最後の2〜3曲は、そのコンセプトに合わせてつくることもありますけどね。だから自然の流れでそうなっちゃったという感じで。
――本名の田中唯士として曲をつくることと、それをs-kenとしてパフォーマンスすることが、徐々に重なってきたわけですね。
s-ken だいたいs-kenという名前自体が、路地裏のSの字合戦(昔の子供たちの遊び)から来ているわけですから、遊びながらケンカするみたいな、ゲーム性を持っているわけです。だから本当の自分、田中唯士はここにいて、遊び回っているキャラクターは別なんですよ。『男はつらいよ』の寅さんもそうじゃないですか。渥美清と役柄の車寅次郎は違うわけですよね。それが全部自分で曲をつくり、歌もうたい、パフォーマンスをするようにになって、自分の描く想像の世界の自分と、本当の自分が年を追うごとにどんどん近づいていっちゃったんですね。もし、僕がその後もずっといすず自動車に勤めていて、働きながら小説を書いていたとしても、出てくる主人公はアルバムの中のs-kenみたいなキャラクターになっていたと思いますね。


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